「ぼく」は撮り手を指しているのではなく、「ぼく」はそこに暮らす猫を指している。
大方の「ぼく」には名前がなくて、または人それぞれ銘々が好き勝手に呼んでいる。
「ぼく」にとっては、それは大したことでもなくて。
名があろうと無かろうと、ただ生まれただ暮らしただ死んでゆく一つのいのち。
猫と呼称される形をした、ひとつのいのち。