2022年4月23日土曜日

生きてるだけで





 いまを生きているだけで凄いことなのだから

そんなに力入れて頑張らんでも良くないか?

と「ぼくのまち」の住人をみて思う


自分らしく、なんて妙に意識するから迷路にハマるのよ


そもそも「自分」ってなに?

私は答えられない。


答えられない「自分」の「らしさ」なんて、

あるようで実はない、気のせいかもよ。


と「ぼくのまち」の住人をみて思う







2022年4月9日土曜日

みぃちゃんと、ぶぅちゃん







西の町に住む「みぃちゃん」と、

東の町に住む「ぶぅちゃん」


みぃちゃんは毎年さくらが咲く頃になるとお腹がポンポン、

みぃちゃんの暮らす町では去勢・避妊している猫が珍しい。


ぶぅちゃんの暮らす町では去勢・避妊している猫のほうが多い。

ぶぅちゃんは耳がさくら耳の子なのでお腹がポンポンなのは食いしん坊過ぎるから。



何が良くて何がそうでないのか、何が正しくて何がそうではないのか。


正直良くわからない。


ひとつだけ確かなことは

いまを咲いているこの生命は、儚くもとても尊いということ。


2022年3月26日土曜日

ぶぅちゃんのおはなし②





 ぶぅちゃんはいつもどこに居るのか分からない。

でも、いつの間にかどこからか登場して、私の足に絡みつく。

だみ声で鳴きながらまとわりついてくる。


私のことを一度転ばせてやろうという魂胆でもあるんじゃなかろうか?


ぶぅちゃんのお腹は底なしで、うちに居る猫たちの数倍の量を一度に食べる。

食べている間、そばに居てやると安心するのか無心に食べるけれども

側を離れると神経質に周りを警戒する。


一度にお腹が壊れそうなほど食べるのも、神経質に周りを警戒するのも

野良の暮らしの厳しさゆえ。


あんまり生きるのが厳しそうな体型じゃないんだけどね(笑)。

2022年2月5日土曜日

ぶぅちゃんのお話



 






ぶぅちゃんがいつ頃からここにいるのか私は知らない。

ボンヤリとした私の記憶では出会った頃はもっと痩せていた気がする。

ぶぅちゃんはレディだからちょっとネーミングが失礼かなとも思うのだけれど、実際私が勝手にそう呼んでいるだけだし「親愛」の情を込めてあえてそんな風に呼んでいる。

今日はぶうちゃん見ないなぁなんて思って歩いていると、地獄耳のぶぅちゃんは足音をちゃんと察知してだみ声を発しながらいつの間にか現れる。

その声や、そのなんとも太ましい姿を見るとホッとする、昨日行きて出会えたとしても今日出会えるかなんて何の保証もないのだから。

ぶぅちゃんのお腹は底なしで、いっぱい食べる。

食べても数分としないうちに食ったことを忘れたんじゃないか?ってくらいに、また食べ物をねだって足元に絡んでくる。

食べること、即ち生きること。

明日は食いっぱぐれるかもしれないのだから食える時には思いっきり食っておく。

それがぶぅちゃんのみならず厳しい環境を生きる野良の流儀だろう。

ぶぅちゃん、また会おうね

別れ際は必ずそう挨拶して家路につく。